五月晴れ |
「五月晴れ」という表現がある。ご存知の通り、旧暦の5月、つまり現在の6月頃にたまに見られるからりと晴れ上がった日のことを指す。ちょうど梅雨時期にあたり、雨の降る日が続く時期であり、きれいな晴天は貴重だ。おそらくそうした喜びも込められた言葉だったのではないかと思う。
しかしこれを、新暦の5月の晴れに当てはめて用いる方が増えている。現在では「5月の晴れた日」という意味を併せて記載する辞書が存在時する程度にメジャーになった使われ方だ。しかし、新暦の5月に晴れの日は珍しくない。今日も明日も晴れているうちの、ごく当たり前な1日を指す言葉として使われてしまっては、「五月晴れ」という単語が本来持っていた情緒は見る影もない。
先日、長男が持って帰ったあるお便りにの冒頭に、新暦5月の晴れを指して「五月晴れ」という単語が使われていた。一般の方ではなく、教師が書いた文書でこうした用法を目にした俺は、違和感を禁じえなかった。学年全体に配布されるお便りなので、担任教諭が書いたものではない。しかしもっとも身近な学校の窓口はやはり担任教諭だ。という訳で、子供が持ち帰るれんらくちょうに「梅雨もまだ遠い今の時期に五月晴れはないと思う。市井の言葉の移り変わりは止められないものの、教育に携わる方には模範となる言葉の運用を期待したい」という旨の意見を書いた。
担任教諭は件のお便りを書いた学年主任に相談したようで、「五月晴れには5月の晴れの日という意味もあり、そちらの意味で書いたとのことでした」という返答が、その日のれんらくちょうに書かれていた。まったく答になっていない。「なぜ梅雨でもないのに五月晴れなんて表現を使ったのか」なんてことはまったく聞いてはいない。俺が問うたのは、教師としての言葉の運用に対する姿勢だ。一般人の中にさえ嫌悪感を覚える人がまだ多くいるような表現は避けていただきたいという期待だ。
まったく要領を得ない返答だったので、「先日の件についてこちらの意図が伝わらなかったようで残念です」と書き込んでおいた。ぐだぐだ説明するには、れんらくちょうは狭すぎる。かといって了解していないことについて納得したふりをするのは失礼だ。そして、「そんなことキイテネーヨ。馬鹿ジャネーノ?」はもっと失礼だ。俺としては最低限に抑えたつもりのメッセージだった。
翌日、長男が持って帰ったれんらくちょうには、その件に関する記述は何もなかった。理解できなきゃスルーが当然だろう、と思っていたら、担任教諭から電話がかかってきた。その日の長男の様子について少し話があったあと、れんらくちょうに書かれたことについて学年主任から話をさせてもらいたいと電話を代わられた。学年主任が言うには、顔を見て話をした方がいいと思うので、ぜひ一度学校へ来ていただけないかとのこと。校長も会いたがっているらしい。五月晴れ問題が次第に大きくなってきた。
そして、翌日。つまり今日。俺は呼び出しに応じて学校を訪ねた。長男入学からわずか1ヶ月半。早い呼び出しだ(笑) そこで担任教諭、学年主任、校長の歓迎を受け、五月晴れに関する見解を述べ合った。その後担任教諭、学年主任が授業に戻り、俺は校長とふたりで日本語から教育、育児についてまで意見を交換。ある程度言いたいことは言ってきた。後は向こうがそれを俺の意図どおりに咀嚼するかどうかだけど しないだろうなぁ 。「高学年向けに『日本語の不思議』っていう授業をしてもらえませんか」とか言っていたもんなぁ 。
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