「すごく」はどこへ消えたのか |
ずーっと気になっている言葉がある。
「すごく」
「すごい」
もともとは同じ形容詞「すごい」から成り立っているようで、連用形「すごく」が副詞的に用いられる。副詞とは、簡単にいえば動詞や形容詞などを修飾する単語だ。
すごく速い。
この文の場合、「速い」という形容詞の程度がはなはだしいことを示すために、連用形である「すごく」が用いられる。
すごい速さ。
この文の場合は、「速さ」という名詞を形容するため、連体形の「すごい」が用いられる。
しかし昨今では、「すごく」という単語を耳にすることはほとんどない。かく言う私自身でさえ、会話の中ではほとんど使わない。しかし文章に書くときくらいは使い分けたいと思う訳だ。対面して言葉をキャッチボールできる会話と、文字という限られたメディアで一方的にコミュニケーションを図らなければならない文章とでは、求められる正確性は違うと思うからだ。
ブログの氾濫によって、文章を書くことを仕事にも趣味にもしていなかった人たちが、あちこちで発言するようになった。若年化の流れもあってか、口語をそのまま文字にして記しているような文章も多く見かける。発言者が増え、さまざまな考えに触れる機会ができたのはいいことだ。しかし、量が増えた代わりに質は低下しているように感じる。量の増え方が圧倒的なので、質の低下はまだそれほど大きな影響を及ぼさないかもしれない。しかし、「書くというのは大変なこと」と認識してペンをとり、またキーボードを叩いてきた世代がメディアから減少し、「公に向けて気軽に、好きに発言できるのが当たり前」だという世代ばかりになってきたら、質の低下は大きなコミュニケーションロスを生んでしまうのではないだろうか。
すでに、プロにも認識のひどい人が出始めている気がする。企業や有名人のサイトなど、プロが作ったと思われるページにも、文法のテストを受けたら落第しそうな文章を見つけることが多くなった。また、有名人のブログなど、マスコミュニケーションというものを重視すべきと思われる方々の文章にも、口語そのままのものが多い。有名人の場合は個性として、その人の口語口調で文章を掲載する方が効果的な場合はある。しかし「その人の個性を取り入れた口語口調」と、「口語そのまま」とは違う。まったく手を入れず、素材をそのまま供している。言って見れば生魚と刺身くらい違う。どんなにいい素材であっても、客に食べさせるために供するなら調理すべきだ。家族だけで食べるなら、柵のままかじったって構わない。口語そのままの書き捨て文章も、家族へのメモなら問題ない。しかし他人に見せることを考えるなら、他人に供することを考えるなら、見苦しくないよう調理してもらいたい。
とはいえ、素人のみなさんはまだいい。個人が趣味でやっている訳だから。有名人のブログやプロの作るWebサイトはそれとは違うべき。だからこそお金を稼げる。そうあるべきだと、私は思う。
まぁ色々理屈はこねましたが、つまり業界への愚痴です。さっき、とあるタレントのものすごーっくひどい文章を読んでしまって、腹が立ってるんです。
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